こんにちは、ピスチコ(pis_chiko)です。
この感情はなんだ?と先日とってもやっかいな気持ちになりました。
そして思いおこせばあれもこれも、そうであったのかと腑に落ちたしだいです。
その感情〇〇とは…
息子の足が最近ぐんと大きくなりまして、どうやらステイホーム中にたくわえた栄養はぜんぶ足の成長に使われたようです。
新しい靴を「明日から履きなさいね。」と玄関に置いたのに、サイズアウトしたはずの古い靴を毎日履いていく。
「こっちの方が履きやすいから、新しいのかたいし。」
新しいピカピカの靴を何日も無視して、ボロボロの靴を何日も…学校に行ってから取り残されている靴を見て気がつく親もあれなんだけど、息子の気持ちが実はわかってた。
新しい綺麗なのに変えなきゃいけないのはわかってる、でも少しきつくなったこの靴はこんなにも足になじんで歩きやすい。
人は新しい物が好きだけど、古い物も好きだからね。
愛着もいろいろあって物に対する愛着は返ってくる感情がないので一方的、自己中でいい。
物が捨てられないのもこの愛着が関係していて、冷静な判断のじゃまになるかもしれない。
それがどんなにくだらない物だとしても、物に愛着を持つのは人間らしくていいと思うし、その人特有の価値観をかいまみれる瞬間でもある。
対人間だと深いはなしに
愛着 (あいちゃく、あいじゃく)は慣れ親しんだ物事に深く心を引かれ、離れがたく感じる事を言う。
引用:Wikipedia
愛着についていろいろ調べていたら、「愛着障害」という言葉を見つけた。
愛着障害とは、親など特定の養育者との愛着形成がうまくいかないことで現れる困難の総称です。
愛着障害については医学・心理学で様々な考え方があり、定まった定義などがない状況です。
しかしなんらかの対人関係や社会性に困難がある大人の中に、その原因が愛着形成に問題があるのではないかと考える人も少なくないようです。
引用:snabi.jp
こういうことを「愛着障害」というとは知らなかった、愛着は英語で”attachment”なのでアタッチメント障害ともいう。
新生児の頃から愛着形成は始まっていて3か月までにかなりできあがるらしい、自分の理想の母親像・父親像にあてはまる親に育てられた人もいると思うけどその数は少なくて、大人になってからうまくいかなかった部分が「生きにくさ」として現れるのかもしれない。
この手の問題は乗り越えていく人がほとんどだと思う、だけどそれほどまでに親は子供に影響を与え続けていくと知り、今これを反省しながら書いている。
疲れていると子供を抱きしめてやることすらめんどうに感じるけど、「お母さん抱っこ」は一生続くわけではないし、こんなに簡単でわかりやすい愛情表現もない。
もういいって言われるまで抱きしめてやればいいと思う。
実際、しかりつけるより効果があったりするから試してみて欲しい。
捨てられない、物と愛着
こういうことに正解はあるのか?それも怪しいところ。
もうそろそろダメになりそうだから…と新しいのを買ったのに、すぐにリニューアルできずにしまい込んだり。
今まで使っていたものに愛着がわいて、捨てられない人はたくさんいると思う。
いわくつきのぬいぐるみ
もう一回読むか微妙なビジュアルが素敵な本
大すきな服や小物(想い出が棲んでる)
傷つけてしまった靴(サイズはピッタリ)
お金を出して買った石ころ(またの名をパワーストーン)
使おうと買って開封もしていないお品
永遠の片思いだからこそ、自分で何とかしないと前に進めない。
そこに断捨離ブームは良い効果、少しくらい強引に断ち切らないとだめかもしれないから。
愛着系の物は捨てる時は少し、いや…かなり寂しい。
だけど実は捨ててしまってもそこまで落ち込まない、思い切ったことにスッキリしたりする。
写真に残して捨てるという手もあり、本当に眺めたいものならフォトブックにすればよいし。
スマホに捨てたいものをため込んで、しばらく考えてみるのも良いと思う。
愛着とうまく付き合うのは自分を納得させること。
物は「捨てないで」なんて哀願したりしないので、すべてが自分との闘い。
「物を捨てる日」に月に一日指定してみるのも良いかもしれない。
ミニマリストを目指し始めてからもうすぐ1年、物と向き合う時間を作るようになりました。
今週は紙、来週はプラスチック、再来週は燃えないゴミなど分別のくくりで物を見直したりもしています。
望まなくても毎日物はやってくるので、出してあげる日も作らないといけないと思うので。
なんでもドライにわりきれたら楽だけど、愛着を持って生きるのが人間ですから。
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