こんにちは、ピスチコ(pis_chiko)です。
「死ぬなら絶対PPK(ピンピンコロリ)が一番いいに決まってる。」
そうかたくなに信じていたけど、違うかもしれない。
ちょっと考えさせられる事態が起こりました。
それは一枚のハガキから始まります。
12月5日、喪中ハガキが届く
少し遅めに届いた訃報にかなり動揺。
友達のご主人が56歳と言う若さで亡くなってしまった。
神奈川と北海道に別れてから久しぶりの彼女の声、本当に久しぶり。
ところであなたはピンピンコロリ支持者ですか?
ピンピンコロリとは健康寿命のまま最期を迎え、闘病生活及び寝たきりなど体験することなく寿命を終えること。
生まれてきた以上ゴールが死であることはもう当たり前なのに、死には悪いイメージばかりつきまとう。
前の週の水曜日にね、具合が悪いって発熱したんだよね、そして月曜日に死んだの。
コロナの事もあったから念のためPCR検査はしたけど陰性だった。
発熱してからはあまり調子はよくなさそうだったけど、会社にも普通に通って普通に生活してた。
倒れた日の朝は会社に少し早めに来るように言われたみたいで、早朝4時ごろダンナが起きてきたから私も目が覚めておにぎり作ってあげて、それからまだ時間が早いからもう一度寝ちゃって。
6時ごろダンナが会社に行ったのをなんとなく感じてて、7時ごろかな救急車のサイレンになんか嫌な予感したの。
家の前で倒れて、通りすがりの人が救急車呼んでくれてね、私も乗るように言われてその時は心肺停止状態だった。
でも思ったより顔色良くて、私はこの人大丈夫だ返ってくると思ったの。
だけど結局そのまま……死因は心不全。
他は調べたけどどこも何ともなくて、会社の健康診断もきちんと受けていて、問題なく大丈夫だったんだけどね。
納得してあの世へ
「納得してあの世へ」は死に急ぐ話ではなく、前向きな人生の終わりについてのひとつの提案。
PPKすぎても、生と死の切り離しがうまくできなくなり、家族は立ち直るまで時間がかかると思う。
そしてきっと一番納得いかないのは自分です。
なんでも楽ならいいのかな?
産まれてくるときはまだ目も見えないし、はっきり覚えている人なんてそうそういないと思うけど。
自分が死ぬときの記憶は覚えていられるのでしょうか?自覚があるのでしょうか?
自分に明日がこないなんて健康な人はまず思わないわけで、統計的にも60歳までは人は簡単に死にません。
そこを越えると健康寿命を失う人が少しずつ増えていくことになります。
人生100年時代を迎えていろいろ考える、老衰はPPKと言えるのかわからないけど苦しくはないらしい。
実は私はあまり長生きしたくないと10代の頃は思っていました。
子供が生まれて母になり、とりあえず必要とされているうちは死ねないなと思うようになり…。
そしてついさっきまでPPKで人生終えれば幸せだと、そう思っていたわけですが。
見えるところにわざと死亡通知を置いたわけ
それがね、あんな最期だったからなかなかあっちに逝けなかったみたいで、しばらくダンナの気配が…っていうかはっきりいたんだよね。
タンスがギ~ってなったり、足音がしたり気配がずっとあって、うちに犬がいるんだけどね、もう怯えちゃって大変だったよ。
だからね、保険会社に出す書類をテーブルの上に置いて「死んじゃったんだよ」って手を合わせたり、「もう車も売っちゃうからね」って手続き進めたりしていったの。
苦しんで死ぬのを見るのも辛いけど、これはこれでどうなんだろう?
ある日突然前触れもなく、自分の心臓が止まってしまったらきっと納得いかない。
理想の死に方と言われている、PPKには違いなくても。
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