依存するの対語は自立
こんにちは、ピスチコです。
今、私、大切な友達とうまくやれていません。
彼女は私にとって、いろいろなことすべてをニュートラルに保ってくれる存在。
たまに話をしたいのです。
東京にいる彼女と帯広にいる私、そうそう会えないし、実際しばらく会っていません。
彼女と話すと、東京にいたころの私が、忘れられたくなさそうに顔を出します。
1ケ月前、彼女の愛犬が死にました。
前から私は心から心配で、何度も彼女にお願いしてきたことがあります。
「恋人を作ろう、今すぐ」
「どうやっても一生一緒にはいられないんだからね」
ワンちゃんが元気なときは「わかってるって、そんなこと、でもね、なんかもう男、面倒で」
なんて二人で笑っていられたんですが・・・実際そのときがやってきたら・・・
彼女は完全に自分らしさを失ってしまいました。
でも今日彼女のブログが久しぶりに更新されていて、少し安心したのです。
そこには悲しみの他に、わかっているんだけどコントロールできない自分の感情、心ない助言をする周りの人への怒りが書かれていました。
少し周りが見えてきている気がして、それが私への怒りだとしても、嬉しく思いました。
共依存とは
共依存(きょういぞん)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である。
Wikipediaより引用
共依存とは、他人から必要とされることで自分の存在意義を見出し、満足感や安心を得ることです。
あなたは大丈夫?共依存度チェック
- 自分を犠牲にして相手を助けたり、世話をしたりする。
- 問題に直面しているのに、表面上なんでもないようにふるまう。
- 過去から学ぶことができず、同じ間違いを繰り返す傾向がある。
- 頼られるとノーと言えない。
- 相手を自分の思い通りに変えようとコントロールする。
- 問題に巻き込まれていることが多い。
- 迷惑を受けたとき、被害者意識が強く、気持ちが沈む。
- 相手の気分を敏感に察して、先読みをする。
- 他人の問題に必要以上に首をつっこんでしまう。
- 責任感が強すぎて疲れる時がある。
- 相手に見捨てられるかもしれないと不安にかられる。
- 見ず知らずの人でも人助けをする。
- 「こうあるべき」「こうなるはず」という固定観念にとらわれやすい。
- 誰かがいないと一人でやっていく自信がない。
- 問題に対して関わり合いがある人にも相手を気遣い問題を明らかにしない。
- 自分のため以外の事でも一生懸命こなす。
- 自分の意見を無理に押しつけることがある。
- 相手の気分に移入して自分も同じ気持ちになる。
- やるべきことに、なかなか着手できない。
- 暴力・乱暴な行為などをつい、許してしまう。
あてはまるものが多いほど、共依存度が高めということなのですが・・・
何事も度を越せばということで、全くあてはまらない人のほうが少ないのではないでしょうか。
そんなこと言ったら怒られてしまうかもしれないけど、私の友達はかなりの共依存をワンちゃんにしていたのだと思います。
共依存は夫婦間、恋愛感情のある男女間に起こりやすいですが、親子、友達にもあてはまります。
症状、問題が出てくると依存症と呼ばれることになります、人にだけではなく、依存症はいろいろなものに由来します。
状態が悪化すれば、カウンセリングが必要になることもあり、そうなると鬱のような状態です。
また、怒られちゃうかもしれないけど、ワンちゃんを亡くした友達には、カウンセリングを受けて楽になって欲しい。
共依存しやすい人
この共依存の原因は成長環境からくる、性格の偏りであることがあります。
これは自分で選択できないケースが多く、同じような恋愛の失敗パターンを繰り返したり、わかっているのに抜けられない状態に陥ってしまったりします。
幼少期の環境が大人になってからも何らかの生きづらさになってしまう人を、アダルトチルドレンと言います。
共依存する人の特徴とアダルトチルドレンが持つ特徴が似ていることから、アダルトチルドレンを克服することが、共依存の克服となると言われています。
アダルトチルドレンについて
1970年代には、アルコール依存症の親をもつ子供が、成長の過程で経験した(虐待、ネグレクト、愛情不足、親の不在など)が影響して考え方や感じ方に偏りが生じ、大人になっても生きづらさを抱えている状態を指していました。
その後、アメリカのソーシャルワーカー(クラウディア・ブラック)が、幼少期の環境や境遇が原因で、大人になっても生きづらさを抱えている人々は認知や考え方、感情の出かたに特徴を持つとして、そのような人をアダルトチルドレンと呼ぶようになりました。
虐待やネグレクトなどが無く、ごく普通の幸せな家庭で育った人でも、あてはまる場合があります。
幼少期の環境は、知らないうちにあなたに偏った価値観を押し付けたり、自己制圧を強いていることがあるのです。
みんな何かに依存しながら生きている
人に依存したり、モノに依存したり、趣味に依存したり・・・
依存はきっと日常にいっぱいありますよね。
自分を保つために、必要な依存をしながら、私も生きています。
ワンちゃんをなくした友達Rちゃんに、私も依存していることを否めません。
勇気を出してコンタクトをとりました。
「ブログを読んだよ、Rちゃんの怒りを感じて、前よりも元気になってきたと勝手に喜んでいます。
私も心ない言葉で励ましていたらごめんね、今はかける言葉がみつからないけど、また楽しく会話できる日が来るのを祈ってます。」
Rちゃんからの返事
「全然違うよ。
私、ちっとも怒ってないし・・・
ただ悲しくて、苦しくて、寂しいだけ。」
前向きとか、元気とか、無理なのわかってる。
会いに行けなくて、ごめんね。