こんにちは、ピスチコ(pis_chiko)です。
世の中には偶然と必然があるとして、最近その境目がよくわからなくなってきた。
2025年の終わりにした体験を、「偶然」で済ますのが少しもったいないと思ったので書いておこうと思う。
偶然と必然
偶然とは何の因果関係もなく起こること。
必然とは必ずそうなる運命やそうならざるを得ない状況のこと。
どちらも同じくらいロマンチックなできごと。
昔から会いたい人には会える方で、連絡しなきゃなと思っていたらスーパーで偶然会ったり。
続いていく人間関係には、連絡しなければいけない「理由」が不思議と生まれたり。
自分でコントロールできている感覚はないけど、もうやりたくないことに時間を使いたくない。
「明日いい日になりますように」より「明日は素晴らしいことが起こる」
「楽しい1日になりますように」より「絶対楽しい1日になる」
「良い年になりますように」より「良い年になる」
言霊って絶対あると、熱く語る人がいた。
「そんなネガティブな感じだと、お前この先、生きてくのつらいよ。」
鏡を見たら「なんて美しくて可愛い」と「とにかく言葉に出して言うんだよ。」
効果があるなら恥ずかしいとか言ってられないが難易度が高め。
心の中でひそかに思うだけでも叶うことがあるから、それならできる気がする。
小さなことでも過剰に喜ぶ才能なら、今開花しているところ。
感覚で生きる
小さいころからピアノとヴァイオリンをやってきた。
だいぶ鈍った絶対音感だけど、雨の音はいつも音程がついてF、ファの音に聞こえることが多い。
ある日友達に言われて確信を持った。
「弦の上でどこを押さえたらどの音が出るか、そんなの感覚でしょ?私たちみたいに音楽をやってきた人は感覚で生きていける部分があるんだから、投資だって感覚が大事でしょ?」
感覚で投資にぶっこんでしまうなら一般的には危険な人種と言える。
投資の話は例として、感覚で生きるとはそんな感じで。
きちんと計画を立てて、100%があるならそこを目指す、そんな生き方とは真逆かもしれない。
偶然が重なったとかいうけど、純粋な偶然なんてそうそう起こらない。
偶然は必然のスパイスの中で、たまに起こるドラマみたいなもの。
心が迷子のような瞬間に
年末差し迫ったあの日、私は娘のダンスイベントを見に札幌カナモトホールに到着した。
大学生がメインのイベントで、若い人たちのグループがホールの入り口に長い行列を作る。
ストリートファッションでビシッと決まってる、髪色鮮やかな人たちの行列に開場時間迫ってから一人で並ぶ、珍しくソロ活動に難色を示す自分がいた。
会場は満席とのことで、チケットは持っていたものの心細くなった「誰かと一緒に来られたら良かった」なんて思ってしまう。
ママ友付き合いが苦手で、小1からダンスを習ってきた娘に、嫌な思いをさせてしまったこともある。
昔を思うと逃げ出したくなるような気持ちで、チケットの半券を切ってもらいプログラムを受け取ったそのとき、声をかけられた。
「あれ、〇〇ちゃんのお母さんよね?、私わかる?ダンススタジオ〇〇〇〇〇〇のとき一緒だった○○の母です。」
「今日帯広からきたの?」
「お久しぶりですね!良かったら一緒に見ませんか?」
特に親しいわけでもないし、もう会うこともないと思う。
声をかけてもらえなかったら、思い出話や近況を報告しあう楽しい記憶はなかったわけだから。
「会えてよかったありがとう!」と別れ際に伝えて、私の心細さをすっかり消してくれた彼女に心から感謝した。
あんなにたくさんの人の中からたまたま私を見つけてくれるなんて、お互いの娘を見に来たとはいえ、必然と偶然が混ざり合ったような瞬間だった。
ママ友付き合いがうまくできなかった後ろめたさも、少し軽くなり。
きっとこれからもこの辺のことはうまくやるのは無理だけど、まぁいいやと。
心を温かくしてくれた出来事を神様に感謝します。
そして今年が素敵な1年になると信じています。
2026年吉日

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