こんにちは、ピスチコ(pis_chiko)です。
昔から自分のことを話すのは苦手で、お誕生日を祝ってもらうのも苦手で。
3月3日なんていう覚えやすい日に生まれてしまって、嬉しいような悲しいような。
女の子だからこの日に生まれてイメージ的には大成功。
子供のころ、ひし形のケーキは嫌だから丸いのにして、おひな様がのってるのはやめてと母を困らせたことを思い出す。
今年は私の誕生日なんて言った覚えもない、思ってもみない人からプレゼントをもらうというイベント発生。
実はすごく嬉しかったので、やっぱり誕生日を祝ってもらうのはいいものだなと。
史上最高にきょとんとして。
「お誕生日おめでとう」と言ってもらうのは、控えめに言って最高だった。
罪深いプレゼント
私の親友がかなり重症なペットロスになってしまった話を以前書いたけど、彼女が去年の7月に書いたブログが切なすぎた。
まだ何ひとつ忘れていない、6年の月日を感じない。
普通にペットショップで一目ぼれしたならよかったのに。
「返してきなよ」ともっと強く言えばよかった。
「未練がましく飼うのはやめなよ」意地悪な顔して言ってやればよかった。
なんなら私がこっそり返しに行けばよかった。
彼女は自分のものにはならないとわかっているのに、他の人と結婚が決まっている人を好きになる。
ワンちゃんには罪はないけど結果的に別れた男からのプレゼント、物だったらもっと楽に手放せたのに。
こんな複雑な事情を私が知った頃には、すっかりワンちゃんに愛着がわいてしまって、引き離すのはもう手遅れ。
ワンちゃんは言葉はしゃべらないけど、飼い主がつらいとき話を聞いてくれるし、いらないこと言わずにそばにいてくれる。
マイペースで人に意見されるのが嫌いな彼女にとって、最高の相棒だっただろうと思う。
自分が同じ境遇にならないとわからない、何かを失うつらさ。
こんなこと言うと彼女は否定すると思うけど。
ワンちゃんは彼女にとって、元カレの分身みたいな気がしてならない。
別れるかもしれない人に生き物プレゼントするって酷だな、彼女みたいに心が純粋な人はまっすぐ受け入れてしまうから。
修復不可能な私たち
彼女に大切にされてポメラニアンの〇〇〇は19歳と7か月まで生きた。
人間でいうとおそらく100歳くらい。
人間と一緒で、この年まで生きると最終的には犬にも介護が必要になる。
酸素マスクは手作り、点滴は自分でやると病院で受けるよりいくらか費用の面で助かるらしい。
犬だって寝たきりだと床ずれするし老化で歩けなくなる、痴呆によるさまざまな現象、トイレもコントロールできなくなる、いろんなことを彼女のブログで知る。
いろいろタイミングが悪く重なり、彼女が仕事を辞めて介護生活に入るまであと1週間というときに〇〇〇は虹の橋を渡ってしまった。
彼女はそのことをずっと悔やんでずっと謝っている。
「1日でも1時間でも長生きして、最後の瞬間は私がそばにいるときにして。」という約束をきちんと守って〇〇〇は天国に行った。
私がグリーフケアをもっとできたならと後悔でいっぱいで、彼女のブログを読むたび押しつぶされそうになる。
自業自得で私も彼女を失ってしまった。
元通りの関係に戻りたいけど今は不可能なんだとわかる。
〇〇〇の呼吸が止まったその瞬間から、彼女の時間は1ミリも進んでいない。
止まった時計を動かす方法を私なりに考えて「死生学」の勉強を始めたけど、これはどちらかというと自分のためになってる。
くだらない話で笑いあえたあの頃の私たちに戻りたい。
何にもわかっていなかった、本当に私は最低な態度で、喪失と向き合い絶望している友達に接してしまった。
立ち直るのが早い人なんていないと思う。
どうしようもなく辛いけど、みんな立ち直ったふりをして生きている。
「もう二度と犬は飼わない。」と言ったその気持ちも今はわかる。
立ち直ったふりもできないRのことを、理解できなくてごめん。
自分のことばかり考えて、ただただ早くもとのRに戻って欲しくて。
「もういい加減に忘れたら?」なんて今なら絶対に言えない残酷なセリフを、無神経に投げかけた。
もう何年かな、RからHappy birthdayのメッセージがこなくなってから。
「いい日に生まれたね、私忘れずに毎年おめでとうを言えそう。」
そう言ってくれたのを思い出してもやっぱりこないメッセージ。
アタッチメントボンドとは?
アタッチメントは愛着
ボンドは絆
私たちはいろんなものとアタッチメントボンドでつながってる。
Rみたいにアタッチメントボンドの相手と死別してしまっても、これは続いていく。
個人差はあってもほとんどの人が一生抱えていくもの。
誕生日が来るたびにつらくなる私も。
望んでも決して手に入らないものを欲してしまう。
X Twitterは日常、Instagramはコスメ開封記録。