こんにちは、ピスチコ(pis_chiko)です。
「ストレージ?そうなのすぐにいっぱいになるから、消しちゃうけどだめ?」
良く動画を撮影する娘は、ストレージどころか、Googleフォトがもういっぱい。
「おもいでばこに入れて下さい。」と頼んでみたけど。
「えー無理、面倒、アプリ消しちゃったし。」
今の高校生は、SNSが自分の写真の置き場所になるのかな。
写ルンですブームの理由がエモい
写真整理に長けてる人たちから聞いたんだけど、写ルンですが今ちょっとブームなんだって。
写ルンです、わかる?わかると言うていでお話進めさせていただきます。
こんなデジタルな時代になんでまた写ルンです?だいたい24枚撮りとか36枚撮りとかで間に合うの?
ところで、最近スマホにレンズがいっぱいついた理由を知ってる?
コンパクトなままカメラ性能をあげるためには、レンズを使い分けて撮影する必要が出てきたの。
「超広角」「望遠」「マクロ」とかね、まえにスマホの機種変更の時、ものすごく熱くカメラ機能を語るお兄さんが担当してくれた。
「ほらほら見て下さい、今このレンズ使ってます、わかります?」
なんか切り替える。
「今度はこっちのレンズ、(私にスマホを持たせて高速移動)ここまで望遠ではっきり見えるでしょう?わかります?」
確かに今の新しいiPhoneの画像は、目がチカチカするくらいキレイ。
誰でも簡単に綺麗な写真が撮れる、だけどそれにもう飽きちゃったの。
綺麗なだけじゃ満足できないの、なんか昭和って写真は現像するまで見れなかったんでしょ?
それでここから写ルンですの出番なんだけど、ググってみたら本当に流行ってる。
でも私たちが写ルンですを使ってた時とは目的や使い方が違うみたい。
まず、使い捨てカメラだからこそ気軽にカスタマイズ、まず見た目を可愛くしたりいい感じにするんだって。
カメラのキタムラなどで最短1時間で現像してくれて、現像+スマホ転送までセットになってる。
結局スマホに転送するんだ…
フイルムならではの味のある写真が…わかるよ、私たちの小さい時の昭和むんむんの感じでしょ?
写真も古き良き昭和を求めてる。
「写ルンですは現像に出すまで何が写ってるかわからないドキドキ感を味わえます!」
自分で写してたらだいたいわかるでしょうよ。
「知らない人と現像に出す前の写ルンですを交換してみよう。」とか変な遊びが流行ってんのかと思ったけど。
まとめると「ないものねだり。」
「現像に出す。」ってあの感じ、今考えるとたしかにちょっといいかもね。
それよりも24枚撮りで3枚以上失敗してたら、もう死にたいくらい後悔するタイプの私は、写ルンですでいくらエモい写真が撮れても、いまさら使いたいとは思わない。
フィルターでフィルムっぽくしたら同じ感じになると思うんだけど、それじゃきっとダメなんだね。
「写ルンですで撮る。」とか「写ルンですをカスタマイズして持ち歩く。」「写ルンですを現像に出す。」がスティタスで、それ全部セットで「写ルンです」が流行ってるってことで。
スマホの写真をどうやって整理する?
写ルンですは旅行や出先でカメラを忘れたり、とりあえずピンチの時の救世主だったけど、今は公衆電話と同じで使う機会はほとんどなくなった。
スマホがあれば思いっきり写真が撮れるし、クラウドに保存できるし、コンビニでプリントだってすぐできちゃう。
子供の入学式も撮るけど、外食やスイーツ、メモ代わりにチラシやレシピも撮るし、なんか今日空が綺麗だからSNSに投稿しとくか#イマソラ。
単純に、私たちは写真を撮る機会が増えた。
スマホがいつもそこにあり、SNSが日常となり、なんらかのつながりの連絡手段だったりする。
だから写真は増え続けていく、膨大に。
まず1番大事なことは「削除」。
大切な残しておきたい写真と、どうでもいい写真が混在しているので。
とりあえず残さなくていい写真を消しましょう。
いつでも消せるからというその油断が、永久放置プレイの引き金になります。
多分スマホのアルバムは、人物より食べ物や風景が多い人が多数だと思う。
理想はその日のうちに消す。
SNS用の写真は投稿したらもういいやってやつ、けっこうあるでしょ?
気に入ったやつを無理に消すとか、ストレージと戦うのはやめましょう。
SNSも写真の保存場所の1つです。
SNSと写真の活用
facebookの過去の思い出「〇年前の今日を思い出してみましょう!」って大きなお世話。
もう忘れたいような黒歴史もようしゃなくあげてくるので、最近設定で非表示にした。
SNSはコミュニケーションのツール、楽しいものだけ見ればいい。
Googleフォトも勝手にコラージュ作ったり、ちょっとたくさん撮った風景から勝手にパノラマ作ってご提案されます、「保存しますか?」勝手に作ったくせに態度はしおらしい。
「想い出を振り返りましょう!」と作ってくれたアルバムが、全部食べ物の画像だったときはちょっと自分が嫌になる。
最近そんなのばっかり、ここ3年笑顔の人物写真が少ない。
3年間の空白、特に子供がまだ小学生なので自分の中で心の負担になってる。
運動会は学年ごと、去年の学習発表会はコロナに罹患し引きこもりだった。
今年カメラの出番が多いことを期待する、私の小学校との関りも事実上今年で最後だから。
時の経つのは早い、子供の成長も本当に早い。
今この瞬間を残しておける、見返せる、それが写真の魅力。
SNSでたくさんの人と共有する写真や出来事も素敵。
今自分が見ているものや聞いているものを簡単に共有できるんだからSNSってすごいと思う。
すっかり涼しい顔でこの感じになじんでいるけど、そういえば人生の半分はインターネットを使いこなしてこなかったし、自分の子供たちが教えもしないのにどんな端末も迷わず使うのを不思議な気分で見てる。
そして学校からのスナップ写真は、選ぶのはネットでできるけど、現物はいまだにプリント写真でやってくる。
写真整理の意味するところ
もういまさら写真を撮るのはやめられない、増えていく一方だということを理解して挑もう。
最初から完璧にやろうと思うと絶対嫌になるから「削除」を継続して、必要な写真だけ残すのをくせにする。
スマホの中にはストレージを圧迫しない程度の写真枚数を保っていけると優秀です。
私も変に意地になるところがあるので、すべてを1箇所にまとめたい!とスナップ写真をスキャナーで取り込み、動画は時系列別でインデックスつけてDVDに焼いてなんてやっていたら燃え尽きました。
そんなとき私を助けてくれたのはおもいでばこです。
この中に写真も動画も全部しまっておける、必要なときはアプリで共有して持ち出せる。
そして大切な写真だけフォトブックにすれば、ものすごく気が楽になります。
それこそ写真だけに自分のフィルターをかけましょう、写真整理のやり方にタブーはない、自分が納得できる形にするだけ、だいたい写真がありすぎる。
スタジオアリスでも1番時間かかるのは写真を選ぶときでしょ?
特別なときだけフイルムで写真を撮る、現像に出す、よっぽどじゃない限りすべてアルバムに貼るというあの感じは懐かしいけど今は違う。
便利だけど、デジタルは破損や劣化で、ある日突然写真が見られなくなることがあるということをふまえて。
紙でもっておけばいつでもスキャナーでデジタルに取り込める、クラウドをうまく使って残したい物はしっかり残す。
Googleフォトが有料化にともない15GBの制限がつく前に、何日かほぼ徹夜でクラウドにあげました。
特に容量が大きい動画は時間がかかりもっときちんとやっておけばよかったと、あの出来事は自分をいましめいい経験。
「お母さん、明日までに赤ちゃんの時の写真、0歳と1歳と3歳の写真1枚ずつちょうだい、学校でアルバム作るから持ってきてって先生が。」なんて時にも余裕で渡せるように。
昭和の古き良き、フィルムの時代。
それはこんなデジタルな世の中に、「写ルンです」を流行らせるほど魅力的なのです。
だけど今の写真事情はあの頃とは違う、スマホで撮る写真は違う種類の写真。
まず頭の中を切り替えて、完璧じゃなくてもいいんだと。
大切な写真はフォトブックにしておけば絶対安心。
フォトブック作ろ!となっても写真が多すぎるとお題に困る。
どうやったら楽に続けていけるか、自分なりの答えを見つけるまでとにかく消去を続けて下さい。
見たい写真がどこにあるのかすぐ見つけられる。
まずはそこから始めましょう!
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