こんにちは、ピスチコ(pis_chiko)です。
新年明けましておめでとうございます。
今年はいろんな意味で桜が盛大に咲き誇ってほしい年、そして今年もよろしくお願いします。
新年早々スマホと手袋なくして見つかるみたいな大騒ぎな年もありましたが、今年はもうそれどころではなく記憶をなくしました。
今オンラインですごく大切なことを学んでいるけれど、講師の方は80歳越えているのにパワフルにネットも使いこなして、年齢なんて本当にただの数字で人間の個体差をわかりやすく表すだけのものではないですかね?
多分、物忘れではなくただの記憶喪失です。
記憶の引き出しの上に置いたはず
1月6日(月)舞台はATM、なくしたものは4桁の暗証番号。
毎月夫のお給料が振り込まれるもう何年も使っている慣れ親しんだその数字が……。
正月三が日明けて今年最初の月曜日、後ろにいっぱい並んでる1個しかないATMのプレッシャー、知らない人たちの無言の圧に、テンパって頭真っ白になる。
年が明けたらきれいさっぱり忘れていいことと悪いことがあるよね?
結局出金できずにATMを離れた。
この日仕事始めでWordpressに数件ログインしたけど、たしかに数字をたくさん扱ったけど。
娘に言わせれば「お母さんいつもそんなんじゃん」確かに前にもあったかも。
シチュエーションが私に与えたショックは大きくて、こんな風にいろんなこといつかは忘れてしまうんだなと、その時本気で思った。
これが恥ずかしいけど私が男性から頂いたありがたい言葉を晒そうと思った経緯、良くも悪くもそれは思い出すたび悪い気はしないから。
小2の赤裸々恋愛事情
小学2年生の時、ちょっと気になっていた男の子から「僕はピスチコちゃんのことが好き」と告白された、人生最初のモテ期到来。
クラスのみんながいる中で突然耳元でささやかれて、天使のささやきってきっとこれのことでしょう。
それから彼はすぐに転校しちゃったからそれっきりなんだけど、彼の名前は今でもフルネームを漢字で書ける。
現場を見られていたみたいで「ちょっと来て聞きたいことあるから、さっき○○君に何言われたの?」彼のことがずっと好きだったというRちゃんに女子トイレに呼び出される。
でも彼女一人で来たから、友達連れてきたりしない潔い女子だった。
「○○くん私のことが好きなんだって」と正直に伝えて泣かしてしまう。
小2でドロドロの恋愛事情をある程度取得して、私は大人になっていく。
こんな話を今まで誰かにしようと思ったこともないけれど、文章にしてみたら結構そのあと嫌なこともあったなと思い出す、そして泣かしてしまったその子がすごく気持ちの良い性格の子で、そのあと仲良くなったことも思い出す。
いろいろ思い出すと一番いやな女は私自身で、ああいうときは少しはオブラートに包むべし、人の気持ちを少しは考えようと人生においての座右の銘の一つにしている。
思っても言うなトラウマになるから
小学生の時、運動は全部だめで唯一陸上系だけは得意で、4年生まで運動会の徒競走は1位。
しかし5年生になってお菓子の買い食いを覚え、もやしみたいな体系から順調に太り始める。
6年生の運動会でクラス対抗リレーのスタートを走ることになった。
アンカーは今も仲良くしているYちゃんが、彼女も小さくて細くて足が速かった。
「お前足速いから、頑張れよ」Aくんがリレーの順番決めなども意見している積極的な子で、なんだか期待されている様子。
だけど練習で走ってみたら私は全然速くなくて、最下位で2番目の子にバトンを渡す。
あれ?私足の速さだけは自信があったのに、なんで?
特に運動系の何かに励んでいいるわけでもない、体形も当時130センチないチビ(中1の身体測定4月の記録が131センチ)。
スポーツやってる系女子にかなうわけがない。
そうしたらそのAくんが「なんだよあんま速くないじゃん、もっと速いイメージあったんだけど…」
私に言ってるのか独り言なのかはっきりしろな感じで。
どこ見てる?どうしたその遠い目?みたいな感じで。
結局一度決めた順番を変えることはなく、本番も私はスタートを担当。
そうして本番も全然だめで、さすがにクラスの冷たい視線が突き刺さる。
別に立候補したわけでもないけどスタートに決まったときは嬉しかったし、アンカーのYちゃんには少し嫉妬した。
「なんかお前全然だめだったけどしゃーないな、先生にスタートはお前がいいって言っちゃったし」
余計な事すんなよ、と思った。
私は足が速いって勘違いしたままいたかった。
心の声をあんなにはっきりと、面と向かって口に出されたのは初めて。
今でもたまにふと思い出すことがある、速く走れなかったショックと一緒に。
根拠のない自信はときどき自滅。
天国でもきっとミュージシャンしてる
高校は東京へ、東京音楽大学付属高校のヴァイオリン専攻で入学、だけど私はあまりヴァイオリンが好きではなかった。
どちらかというと小さいころから音楽じゃない方の文字を打つキーボードが好きで、音楽の道に進んだのは母の影響が大きい。
最初の実技試験はメンコン(メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲)の第1楽章を演奏した。
努力しなかった私はメンコンがピークで、そのあとの実技試験は思うように弾けなかったしオケ(オーケストラ)の授業も後ろの方でこそこそ弾いてただけ。
目の前にあることをとにかくがむしゃらにやることができない、私の悪い癖。
Mくんは同じヴァイオリン専攻で、小さいころから有名な先生にずっと教わってきたのもあって、ものすごく才能のあるヴァイオリンニストだった。
そんな彼の忘れられない一言を書いておきたい。
2年生になったころ突然呼び止められた、「メンコンの時はうまいなって思ったけど、今楽しい?」
私が練習していないのも全部見透かされてる、「なんかね、今ヴァイオリン弾くのはちょっと大変なの」
「ヴァイオリン弾くのなんて飯食うのとおんなじじゃん、何大変?」
うん、あなたにはかなわない。
箸を弓に例えてふざけてジェスチャーしながら、きっとあれはしっかりしろよって喝入れてくれたんだと思う。
きっと今でも神様に届くような音でヴァイオリンかき鳴らしてるでしょ?
あの時はありがとう。
殿方の皆様から言われた心に強く残っている言葉&シチュエーションはこんな感じで。
恋愛のもつれとか、金品トラブルとかDVとか本当にいろいろ経験したけれど、なんだか全然心に残っていなくて、つい最近のことでもすっかり忘れているのに小学生の時のことをこんなにしっかり覚えてる。
頭の中更新して嫌なことはすべて消去して、幸せな記憶はしっかりバックアップとっておきたい。
こんなこと書いてたら、今までご婦人に言われた忘れられない一言もいろいろ思い出してきた。
だけど女子編はちょっと書けないと思う。
なぜならアクが強すぎる、とてもじゃないけど公開できるような内容ではないほどムカつくことばかり思い出すから。
今回記憶がとんだショックで頭の奥まで思い出シャッフルされた模様。
なんだかんだ難しい世の中だけど、記憶だけは誰にも奪われることはない。
妄想の中で過ぎし日を反芻して、しばしこのままいさせてください。
今年もたくさん笑って過ごせますように。
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