こんにちは、ピスチコ(pis_chiko)です。
ちょっと思うことがあって。
近しい方が亡くなったわけではないけど、今お仏壇に心を込めて向き合っている。
線香の煙が真っ直ぐに上がると…
お燈明に火をつけて、お線香に火をつけおりんを鳴らす。
線香の煙は不思議なくらいまっすぐにまっすぐに、上へ向かってあがる。
いつも何かのメッセージにしか見えなくて消えるまで魅入ってしまう。
お線香が燃え尽きるときの消え方がいろいろで。
今日はどんな風に消えるかな?
見守ってしまう。
線香の煙がまっすぐあがると願いごとがかなうと何かの記事に書いてあった。
実は私が最近ここで必死に願っていたことはありがたいことに叶った。
ご先祖様、度々お願い事をして申し訳ない。
墓じまい
最近母が、しきりに墓じまいをしたがっていた。
本来なら東京にいる長男がお墓も仏壇も見るべきなのだろうけど、母の兄は自分の免疫が暴走してしまう難病にかかり自分で自分を攻撃してどんどん弱っていった。
結局北海道にいる母にすべて任せて亡くなってしまった。
お墓は市内にある霊園に建っている。
祖父がなくなり祖母が建てたものだ。
全てを東京にもっていく話も一時あったらしい。
5人兄弟の真ん中の母だけが女で、すべての兄弟が亡くなり今は独りぼっちになってしまった。
やっぱり女は長生きする生き物なのか?
結局母は、私にお墓のいろいろを残していくのが嫌みたいだ。
無縁仏なども納められる、市が運営している集合墓地や、ある程度のお金を払ってお骨を預かって年何回は集合供養をしてくれるところなどいくつか見て歩いた。
お骨をお墓から一度出して洗って乾かして次の場所へ移す、お墓を壊して更地にする。
その辺はお墓を建ててくれた石材屋さんで20万台でやってくれるらしい。
たしかに草むしりをしたり、お墓の維持は楽ではないけど、母に言った。
「私が見られるうちは、私がやるよ。」
このお墓の中には私の祖父、母の2番目の兄、祖母が入っている。
願わくば、母もここに入りたいのはもちろんで、私もそうしてやりたい。
そのくらいのこと迷惑だと思わないで欲しい。
私が小学生になった春に亡くなった祖父のことを、一緒に住んでいたので私はしっかり覚えているし、母の2番目の兄は子供のころ片目を失明してから精神を病んでしまい、私が小学4年生のときに自ら命を絶ってしまったが私は彼が大好きだった。
私には叔父にあたる彼は、結婚もせずに札幌に一人でいたので、よく帯広に遊びに来て祖母と私たち家族が住む家に泊って行った。
兄が欲しかった私は、叔父のことが大好きでいつも遊んでもらったが、本当に優しくて穏やかな人だった。
いつでも叔父の顔を思い出せる。
祖母は私が高校2年生の夏に亡くなった。
病院に入院した時には弱り過ぎて検査もできなかったが、おそらく原因はすい臓がんだろうという話。
みんな大好きな人たちなので、私がお墓を見ていくのは苦でもない、このタイミングでの墓じまいは中止にした。
死後の世界はあるのか?
「死んじゃったらなんにもわからなくなるんだから」と母は楽観的で、死後の世界なんて気にしない人。
祖母はいろいろ見えてしまう人なので、入院中は大変だった。
お見舞いに行くたびに聞かされるエピソードが強烈で、もし興味がある人がいるならどこの病院のどこに何があるか教えてあげる。
「お祖母ちゃんにもしものことがあったら、お祖母ちゃんがそっちでどんなところにいるのか私に夢で見せてね、落ち着いてからでいいから。」いつもそんなことを、私は言っていた。
祖母が亡くなってしばらくたったころに、約束通り私は祖母がいる場所を夢で見る、そこは不思議と生活感がないのに家が建っていて、祖母が立っていた。
祖母の周りには祖母の好きな犬がいっぱいいて、さらに人の気配があった。
祖母は誰と住んでいるんだろう?子供?祖母より早く亡くなってしまった叔父なんだろうか?
季節は秋?たくさんの紅葉の葉が、走り回る犬たちの足元でカサカサ音を立てた。
だけど少し歩くと綺麗な花畑に出て、どんなに歩いてももう祖母の姿はなかった。
人はいつか死ぬけれど
ピンピンコロリが理想と言っても、そううまくいくケースばかりではない。
「延命治療はしないで欲しい。」という人が多いけれど、線引きはすごく難しい。
死のことを前向きに考えるのは難しいし、後悔のない人生の結末なんてなかなか迎えられないのが現実。
死後の世界はあってもなくても、ご先祖様を供養して思い出して懐かしむ。
子供のころは「仏壇拝みなさい。」なんて言われると「めんどくさ。」と思っていたけど若気の至りでお許し下さい。
いつだったかの法事で「たまにはお経をあげてみてください、ご先祖が喜びますよ。」とお坊さんが置いて行ったお経の本が仏壇の引き出しに入っていた。
難しくて何書いてあるかわからないし、こんな下手なお経あげたら死んだ人までびっくりして生き返るんじゃないかと思いながら、一生懸命フリガナを読んでお経をあげた。
なんとなく法事の時にお坊さんがあげていたお経のイントネーションを思い出しながら、これでご先祖が喜ぶならまたひとりでこっそりあげてみようなんて思いながら。
あなかしこあなかしこ
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